日々思うことをつらつらと


by joe-suzuki

カテゴリ:気ままな一人旅( 1 )

布良と書いて(めら)と読む。これは何か歴史があるはず
f0297680_1142563.jpg

房総半島の南端にある安房神社。年に一、二度訪れる場所だが、近くに布良という港の集落があるのを知っていた。神社から歩いてどの位あるのだろう。夕陽を見たいがために神社で訪ねたところ、この集落の名前は「めら」と読むのを知った。

なんとも雅な響きだ。これは何かあるぞ。

20分ほど歩いて、集落の入り口に着く。いやいや、本当に人が少ない所だ。あまり人と出会わない。

ようやく上半身裸で通りで涼んでいるお父さんに出会う。暖流の関係で暑いと思ったこの地は、東京よりも6度も涼しかった。森と土の地面と強い風のお蔭だろう。そんな涼しさにも関わらず、上半身裸は彼の夏のユニフォームかもしれない。

地元で有名な寿司屋に入る。70歳を超える大将は、漁師になりたくなくて15の時に東京に丁稚に出たという。当時の若者は誰もが漁師になった。なにしろ布良浜は、青木繁の名画「海の幸」の舞台になった場所である。ところが今や、この町に漁師は一人もいない。親は息子に東京で働くことを勧めるという。「じゃないと、結婚できないから」。

食べログでこの市で一番の店も、6時台の客は僕だけ。「99%の客は東京から。地元の客は山の上に住む別荘の住人だけ」という。今の布良は、夏の海水浴と釣りの客が訪れるだけの、すっかり寂れた集落である。

だが、名前だけでなくこの集落が普通でないのは、かなり立派な神社が海を隔てて、夏至の太陽が沈む方向を向いて建っていることで分かる。

絶対何かある。

ということで、この集落のことを調べてみた。

布良の話は、忌部氏(いんべし)の神話の中に登場する。忌部氏とは、古代朝廷の祭祀を始めとして宮殿造営を担っていた氏族である。彼らは宮殿で使う木棉や麻などの織物や鏡・玉などの祭りの道具作りも自分たちで行っていた。出雲の国では玉を作り、四国の阿波の国では布を作るなど、日本の各地に拠点を持ち行き来していたようだ。

そして、忌部氏のリーダーの一人である天富命(アメトミノミコト)が、布を織る植物を栽培するのに良い土地を求めて、四国の一族を率いて海路を東に向かい、辿りついたのが今の布良というのである。

そして、麻を植えて良く育った地域を(「ぬのよし」後に「めら」)と名付けられた。また、古代は麻のことを「総」と呼んだことに由来し、房総半島は『総の国』と名付けられている。後に総の国は二つに分かれ、都に近い(海上を利用し)半島南部が上総の国、北部が下総の国いう名前になったのは、ご存知の通り。

忌部氏は、移住した地域を、故郷の阿波にちなんで「安房」と名付け、先祖を祀るために安房神社を建立した。これが紀元前660年の事。千年以上たった717年、神社を今の大神宮と呼ばれる地に遷都座。以来、菊の御紋の使用が許される数少ない神社が、今に引き継がれているのである。一方、旧安房神社の位置に出来たのが、布良崎神社である。

何故、この神社が夏至の日没の方向を向いているのか。
さらに調べないといけない。

東京から車でも3時間。そんな田舎に、布良という美しい響きの地名があるのを知って頂きたいがゆえ、つらつらと書いてしまったものである。






■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
[PR]
by joe-suzuki | 2013-07-15 11:31 | 気ままな一人旅