日々思うことをつらつらと


by joe-suzuki
肉食は動物の意識が人間の身体を通過するため、粗野な人間になる
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さて、昨日の断食の話の続きである。

ピタゴラスは、しばしば長期間の断食をしていたらしい。そう、数学で習ったあの「ピタゴラスの定理」のピタゴラスだ。

断食の効果を、こんな風に医学的に説明していたサイトがあった。

(引用)
お腹を空かせると、胃からグレリンという飢餓ホルモンが出てきます。
グレリンが出ると、海馬の領域の血行がよくなり、脳の機能が格段に高まります。つまり、断食によって頭が冴え、飛躍的な成長や劇的な変化を促進させる訳です。 断食は、アルファ波を自在に出せるようにするための訓練であるとも言えます。
逆に言えば、アルファ波が出る脳にしない限り、潜在能力は開花しません。 断食中は、アルファ波の発生を促すケトン体の量が増える事が分かっています。 脳細胞はブドウ糖よりもケトン体を好むそうで、ケトン体の方が脳内では吸収されやすいそうです。
食欲は人間の最大の基本的本能ですから、雑念がある間は断食は苦痛ですが、脳波がシータ波にまで下がってしまえば、食欲を含むすべての欲望は消滅し、 高次元と繋がり、無念・無想・無我・無心の境地に達し、 閃きが次々と溢れ出て真理を発見できるようになります。
(引用終了)

断食をすると最初の1、2日目は辛いが、それ以降は楽になると言われている。それは、アルファ派が出ているからか。何故ピタゴラスは、こうしたことを知っていたのだろう。

今回、ピタゴラスを出したのには理由がある。1847年に「イギリスベジタリアン協会」が発足するまで、菜食主義は「ピタゴリアン」「ピタゴラス派の食事」などと呼ばれていたのだ。

実はベジタリアンの系譜を辿っていくと、ピタゴラスにまでさかのぼる。 「元祖ベジタリアン」と称されるピタゴラスは、一日二食で、 果物、野菜、穀物、蜂蜜だけで生活していた。 黒パンと蜂蜜で朝食を済ませ、夕食には、生野菜を食べていたとおうのである。また、獲れた魚を海に戻してやるために漁師にお金を渡したりしていたそうだ。ピタゴラスに強い影響を受けたプラトンは、生涯、一度も肉と魚を口にしなかったという。


ピタゴラスが肉食をしなかった理由は、魂は不滅で輪廻転生を信じており、肉体が消滅した魂は他の肉体の中に移るため、肉食は動物の意識が人間の身体を通過し、粗野な人間になると考えていたからだ。

思えば人間も、臓器を移植すると、前の持ち主の意識が移るとよく言われる。肉食をすると同じようなことが起こるのだろうか。

ピタゴラスは数学者のイメージが強いが、かなり不思議な人物だったようだ。

彼はエジプトで密儀参入して宇宙の真理を体得し、「宇宙は数に支配されている」と唱え、特に数の神秘を説いた。今もこの流れをくむ占数術は「秘教占数術(ピタゴラス占数術)」と呼ばれている。

 またピタゴラスは動物とも自由に話ができたという。オリンピック競技の最中に空を飛ぶ鷲を口笛ひとつで舞い下りさせ、ある時は暴れ熊をおとなしくさせ、その場から退散させたという逸話も残っている。透視術や瞬間移動の秘術にも通じており、遠く離れた2つの地点に同時に姿を現わすような離れ業も簡単にやってのけたとも伝えられているのだから、ただ者ではない。

ピタゴラスについて、もっと調べてみたいものだ。







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# by joe-suzuki | 2013-07-25 06:36 | 食生活を考える

修道院の断食

断食は、私たちが頑固さや傲慢さをなくし、謙虚で柔軟な心を取り戻す手段なのです
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昨日の23日は満月。この日から新月までが、断食に相応しい時期と言われている。

断食はダイエットや健康に良いだけでなく、重要な霊性修行ということが、最近読んだ『修道院の断食』(ベルンハルト・ミュラー ペーター・ゼーヴァルト著)に書かれていた。これはなんとも、興味深い。

断食というと、日本やインドなどアジアのものと思っていたが、キリスト教でも伝統的に断食が実践されてたのである。いや、主な宗教は、その断食の効用を説いているようだ。食べないことで、精神が変わるというのだ。

この本も、著者がベネディクト会の修道院で、7日間の断食を体験したことを綴っている。そのなかから、気になった言葉を拾ってみた。

「あなたが断食中に多くの『仮の満足』を手放す、まさにその時に、あなたの心の最も奥深くにある真実を知ることができます」

権力、影響力、名声、富、そういったものはみな人を実際に強めるものではなく、むしろ感性を鈍くし、力を弱め、心を冷たくします」

「私たちは楽しさや刺激的な経験に満ちた社会に生きています。しかし、退屈でたまらなくなる時がよくあります。起こっていることがみな、私たちの精神や魂にもう本当には触れていないからです。いわば、少しばかり死んだように生きているのです」

「私達は本当に大切なことを見抜く目を失っています。そこにこそ、私たちの不満の原因があるのです。そのため、私たちはただ持ち物を増やせば自分の幸せや満足が得られると盲目的に考えてしまうのです。断食は、私たちが頑固さや傲慢さをなくし、謙虚で柔軟な心を取り戻す手段なのです」



昨日はお月見をしたので、いつもより食べてしまった。お酒も残っている。満月の日は、いつもよりハイになってしまう・・・・。
今日これを書いたのは、もちろん心を入れ替えて食を慎もうと思うからだ。







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# by joe-suzuki | 2013-07-24 08:47 | 食生活を考える

フラーの言葉から

おとなたちは時代遅れのお金や政治のゲームにうつつをぬかし続けるかもしれないけど、若い人間たちはバカバカしい利己主義なんか、もう飽き飽きしている
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バックミンスター・フラー。科学者として、その数学的な面が評価されることが多いが、僕は彼の社会を見る目に興味を覚える。そんなフラーの言葉から、興味深い言葉を抜き出しておく。

「ビジネスマンはほんとうの富をなにひとつ生み出さない。彼らは、壁をつくることで分け前をかすめ取る。ほんものの壁だろうが、目に見えぬ壁だろうが、とにかく品物やサービスを交換するところの周囲に壁を築き、入口のところを開けたり閉めたりして、うそっぱちの欠乏をでっち上げ、値段をつりあげてしまうのだ。」

「地球人類の大多数が宇宙のなかで自分の立場に気がつけば、私たちは次の段階へと進化して、宇宙とまったく新しい関係を結ぶことになるだろう。私たちは、子供の眼で、宇宙をながめはじめる。子供の眼で、宇宙に熱中しはじめる。 」

「おとなたちは時代遅れのお金や政治のゲームにうつつをぬかし続けるかもしれないけど、若い人間たちはバカバカしい利己主義なんか、もう飽き飽きしているのよ。いっしょに力を合わせて地球社会を穏やかに変えていくわ。若い人間たちはものを感じる心を持っている。自然に真実がわかってしまう。思いやりの気持ちだってある。それに若い人間たちは、いつだって宇宙のなかの人間の存在という偉大な神秘を解こうと、愛をいっぱいにつめこんで旅に出かけるものなの。わたしたち人間も、宇宙の内でデザインされた本来の働きに目ざめていくに決まってる。」 

『テトラスクロール』より

選挙の後だから、とりわけ思うものだ。株価が上がるから、目先の給料が上がるから、その政治家を支持するのだろうか。たんにお金のために行動するのか。僕らはもっと広い視野で物事を考えることを忘れてはいけない。





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# by joe-suzuki | 2013-07-23 11:20 | 備忘録
布良と書いて(めら)と読む。これは何か歴史があるはず
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房総半島の南端にある安房神社。年に一、二度訪れる場所だが、近くに布良という港の集落があるのを知っていた。神社から歩いてどの位あるのだろう。夕陽を見たいがために神社で訪ねたところ、この集落の名前は「めら」と読むのを知った。

なんとも雅な響きだ。これは何かあるぞ。

20分ほど歩いて、集落の入り口に着く。いやいや、本当に人が少ない所だ。あまり人と出会わない。

ようやく上半身裸で通りで涼んでいるお父さんに出会う。暖流の関係で暑いと思ったこの地は、東京よりも6度も涼しかった。森と土の地面と強い風のお蔭だろう。そんな涼しさにも関わらず、上半身裸は彼の夏のユニフォームかもしれない。

地元で有名な寿司屋に入る。70歳を超える大将は、漁師になりたくなくて15の時に東京に丁稚に出たという。当時の若者は誰もが漁師になった。なにしろ布良浜は、青木繁の名画「海の幸」の舞台になった場所である。ところが今や、この町に漁師は一人もいない。親は息子に東京で働くことを勧めるという。「じゃないと、結婚できないから」。

食べログでこの市で一番の店も、6時台の客は僕だけ。「99%の客は東京から。地元の客は山の上に住む別荘の住人だけ」という。今の布良は、夏の海水浴と釣りの客が訪れるだけの、すっかり寂れた集落である。

だが、名前だけでなくこの集落が普通でないのは、かなり立派な神社が海を隔てて、夏至の太陽が沈む方向を向いて建っていることで分かる。

絶対何かある。

ということで、この集落のことを調べてみた。

布良の話は、忌部氏(いんべし)の神話の中に登場する。忌部氏とは、古代朝廷の祭祀を始めとして宮殿造営を担っていた氏族である。彼らは宮殿で使う木棉や麻などの織物や鏡・玉などの祭りの道具作りも自分たちで行っていた。出雲の国では玉を作り、四国の阿波の国では布を作るなど、日本の各地に拠点を持ち行き来していたようだ。

そして、忌部氏のリーダーの一人である天富命(アメトミノミコト)が、布を織る植物を栽培するのに良い土地を求めて、四国の一族を率いて海路を東に向かい、辿りついたのが今の布良というのである。

そして、麻を植えて良く育った地域を(「ぬのよし」後に「めら」)と名付けられた。また、古代は麻のことを「総」と呼んだことに由来し、房総半島は『総の国』と名付けられている。後に総の国は二つに分かれ、都に近い(海上を利用し)半島南部が上総の国、北部が下総の国いう名前になったのは、ご存知の通り。

忌部氏は、移住した地域を、故郷の阿波にちなんで「安房」と名付け、先祖を祀るために安房神社を建立した。これが紀元前660年の事。千年以上たった717年、神社を今の大神宮と呼ばれる地に遷都座。以来、菊の御紋の使用が許される数少ない神社が、今に引き継がれているのである。一方、旧安房神社の位置に出来たのが、布良崎神社である。

何故、この神社が夏至の日没の方向を向いているのか。
さらに調べないといけない。

東京から車でも3時間。そんな田舎に、布良という美しい響きの地名があるのを知って頂きたいがゆえ、つらつらと書いてしまったものである。






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# by joe-suzuki | 2013-07-15 11:31 | 気ままな一人旅
有名なアイリーン・グレイのポートレート。撮られたのは彼女が48歳の時。
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撮影したのは、女性写真家ベレニス・アボットである。彼女のことをちょっと紹介しようと思う。

1898年にアメリカで生まれたアボットは、彫刻を学ぶため1921年、パリの彫刻家エミール・アントワーヌ・ブールデルのもとを訪れ、創作活動を開始する。この時、名前をフランス風の「ベレニス」に変えている。

1923年、マン・レイが写真スタジオのアシスタントとして、写真を全く知らない人物を募集。マン・レイもアボットもアメリカ人ということもあったのか、彼女は暗室作業を手伝う事になる。その2年後アジェの写真を初めて目にし、写真の表現手法に衝撃を受けた彼女は、以後写真をライフワークとする。

1926年、自身のスタジオをパリのリュードバックに開設。短期間ベルリンで写真を学び、27年にはリュクサンブール公園のすぐ北にスタジオを再オープンさせている。

当時のパリ左岸は、名だたる文化人が活動しており、アボットは彼らのポートレートを1929年まで撮影した。アイリーン・グレイのポートレイトは、1926年に撮られている。。

著名な編集者であるシルヴィア・ビーチは『シェイクスピア・アンド・カンパニー』の中で、当時のアボットの事を、マン・レイとともに「民衆の公式肖像写真家、マン・レイやベレニス・アボットがとるということは、撮られる人物が社会的に何者であるかを意味している」と書いている。彼女はそれだけ文化人の間で有名な存在だったのであろう。

1926年、グレイは画廊で開かれたアボットの個展を訪れている。展示には、初期の代表作である、ジェイムス・ジョイス、アンドレ・ジッド、ジャン・コクトーマリー・ローランサンのポートレートがあったという。その後ほどなく、アボットがグレイの写真を撮ったと記録に残っている。

それにしても1878年生まれのアイリーン・グレイの美しいこと。計算すると48歳だ。良家の出身で、サマーセット・モームの小説にも登場する美貌の持ち主だったグレイは、多くの写真を焼き捨てているので、アボットの撮った写真は極めて貴重なものだ。

さて、その後ベレニス・アボットはニューヨークに戻り、アジェのように都市を切り取った写真で大きな評価を得る。また、アジェの写真をまとめて買い取り、MoMAに買い取らせた事を大きく評価する人もいる。ともあれ、歴史に名を残す写真家となった。

だがポートレートを撮る僕は、ベレニスのちょっと懐かしいスタイルの人物写真に惹かれるのである。人物の持つ魅力をシンプルに伝えているからだ。アイリーン・グレイの写真は、そんな一枚ではないだろうか。



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# by joe-suzuki | 2013-07-07 18:56 | 写真・カメラ